やる気の出ないとき

やる気とは波のようなものである。(無論波が高いほうが少ない人が大半だが。)

 

きっと経験があるのではないだろうか

 

これから毎日英単語10個覚えよう。

毎日筋トレしてムキムキになるんだ。

将来のためにプログラミングを学ぼう。

小僧派手にやるじゃねぇか これから毎日家をry)

 

えとせとら

 

前日のやる気とは裏腹に 今日のやる気のなさ。

一日くらいとさぼっては、次の日もそれを繰り返し。

結局たどり着くのは自己嫌悪(振出しに戻る)

 

この自己嫌悪のサイクルは本当に最悪だ。

でもやる気が出ないんだから仕方ない。

布団とスマホが僕を離してくれないんだもの。

 

こうならないためには対策は一つだ。(厳密には僕が知る対策は一つだ。)(より厳密にいうとあきらめる以外の対策は、だ。)

 

それは、行動することだ。

 

 

 

待ってくれ 何言ってるんだこいつって感じで マウスに置いた親指を動かしたり、バックスペースボタンを押したりしないでくれ。

 

わかってる。行動ができないからこそ 行動するやる気が出ないからこそ 動けないのは僕もよくわかっている。

 

だまされたと思って 自分がやろうとしたことの準備をしてみよう。

 

英単語なら 単語帳とノートを開く。

筋トレなら 器具を出したり 着替えたり。

プログラミングなら このブラウザを閉じて、教本とテキストエディタを起動しよう。

 

きっとこれだけで多少のやる気は出るはずだ。

あとは手に持っているスマホを手の届かないところに放り出し ペンを持つなり なんなりして始めよう。

 

よく思い出してほしい 問題を解いていてするする手が動くとき 昨日より腕立て10回がつらくなくなったと気づいたとき 僕らはもっと先へ行きたいと思う。(ここは賛否両論あるだろうが)その先へ進みたい気持ちこそ、やる気ではないだろうか。

 

やる気にも種類がある。

上記したようなやる気もあれば、なすべきことをなした後の未来にある姿を想像したときに出てくるものもある。

 

後者のやる気で長いこと努力できるのは才能だ。

それは それこそ努力か生まれついた能力でしかなしえない。

大半の人に必要なのは前者を出すための行動だ。

 

つまり、やりたいことがあるなら もしくはあったなら たとえ今やりたいと思っていなくとも 時間があるならば 行動しよう ということなのだ と僕は思う。